mako2270’s diary

趣味は声優さんがお話するのを座って聴いたり眺めたりすることです

ラズベリー・パークへの誘い

山崎エリイ 2nd アルバム「夜明けのシンデレラ」より、「ラズベリー・パーク」について書いてみようと思う。


残念ながら本曲は 8 分 55 秒という曲の長さ故か、実際に歌が披露された機会はたったの 2 度、 2018年12月23日に開催された「SPECIALLIVE ~夜明けのシンデレラ~」昼夜公演のみである*1。その長さから今後も彼女が歌う姿を観ることは難しい曲だと思われるが、本曲は山崎エリイの表現力が存 分に発揮された随一の名曲であるとぼくは思っている。
彼女の Artist Director である日本コロムビアの井上哲也氏は「夜明けのシンデレラ」発売前の全曲視聴会にて、本曲について「みんなで共有、体験ができる曲」「ある所からある所まで辿りつく。最後に辿りつく場所がラズベリー・パーク」のように語っていたことを覚えている。この時の「みんな」という言葉を本曲のキーワードとして、本曲について考えてみる。


本曲の歌詞を「私」の主観で追ってみよう。
まず私は、招かれた誕生会の会場に着く。ちょうど夜の 7 時。そこで久しぶりに会えた友人と話をする。 その話の内容は、「入口で止まっている」「進めずに迷っている」、そんな停滞と迷いの話題であり、この時は「花束はまだ蕾のまま」と歌う。
夜中の 12 時をすぎた頃には、最終電車に乗って帰る子がいて、一方でまだ会場に残っている子もいる。そこでの話題も「まだ何にもなれない」「いつかきっと翔びたつ」という、まだ叶わないが叶えたい自分の夢の話。しかし一方で、「素敵な集まりだ」「ここには愛がある」という、その空間を共有する「みんな」との言葉が少しずつ現れる。そして、「花束はいい香りをさせ始める」と歌う。
さらに時が経ち、夜が深まった先に、鳥が鳴き、朝が近づくと私たちは公園へ向かう。
この公園こそラズベリー・パーク。「ねえ たのしかったよね」「勇気がもらえたよ」「やさしくなるね がんばる」 「素敵な集まりだ」「ここには愛がある」、私たちは言葉を交わし、蕾だった花たちは目を覚まして、香りが鮮やかに溢れ出す。
そして、昨日から今日までの言葉たちがリフレインして歌われる。今日の言葉は明日も未来も続く。昨日から今日、そして明日から未来へ続くこの想いの渦は、今ここにいる「みんな」の愛を受けて勇気をもらって、鳥となる。私たちの「いつかきっと翔び立つ」という夢は、きっと叶うのだ。
最後のフレーズは「昨日は 今日にかわってる」。これは単なる時間経過の描写ではなく、心の動きとして、昨日までの成し遂げられなかった後悔を乗り越え、一つ先に進めたことを歌っているのだと思う。


ぼくたち本曲の聴き手は、主観的な夜 7 時から夜明けまでの半日の情景描写に浸っていると、いつの間にか時間経過が溶けて混ざった世界に迷い込んだ気持ちになると思う。いや、迷い込んでいるというよりは、主観的な描写を誰にでも受け入れやすい入口とし、徐々に本題を示したい世界観に誘い込まれているようにぼくは感じた。
本曲の前半は主観的な心情の変化が、半日という期間の具体的な出来事として、叙述的で受け止め易く描かれている。しかし実はそれはもっと長い時間の愛を描くに当たっての比喩として示されているのではないか。もっと言えば、愛を育むのに時間の長短は関係なくて、ただ確かな想いがそこにあればいいのだと思う。そして「確かに愛があること」、愛という概念が具現化されたもの、それこそがラズベリー・パークという場所であり、そこに辿り着くことが本曲で描かれているのだと、ぼくは思う。


昨日の「迷い」は時を経て、人のやさしさや愛を受けて、変わる。
「昨日は 今日にかわってる」これはみんなの愛を受けて、後悔を勇気で乗り越えられたことを示している。確かにここに愛があったということを歌っているのだ。
ラズベリー・パーク」
それは後悔を乗り越える愛のある場所。その愛は人に貰うものであり、与えるものでもある。そして、お互いへの愛は勇気に変わり、後悔を乗り越える明日に至るのだ。
ここに描かれているのは、「私」の話ではない。「私たちみんな」が愛を共有する話。 そして、ラズベリー花言葉は、「深い後悔」と「愛情」だ。


2018 年 12 月 23 日のライブでは本曲はアンコールで歌われたが、終始彼女は神妙な表情だった。彼女はこの叙述的で主観的な物語において、決して主役となることなく、世界の案内人として語り部であることに徹しているように見えた。しかしそれにも関わらず、舞台上の唯一無二の歌い手として、この穏やかな不思議で機微に溢れる長曲を、聴き手に飽きさせることなく終始魅力的に聴かせることができることこそが、彼女の確かな力なのだと感じた。
山崎エリイにはそれぞれの曲を離れ、一歌手として届けたい強い芯のあるメッセージはあるのだろうか。ぼくにはよくわからない。でも彼女は何にでもなる。その多彩な楽曲から一つの山崎エリイ像がぼくには定まらない。それはとても凄いことだと思う。一つのはっきりとした芯があることは人間の強みのようにも思えるが、 変幻自在に多彩な姿を見せ、そのどれもに凄みがあることに、ぼくは彼女の力を見る。
その多彩な姿の中で、一つの完成形として愛の世界観を描き切ったのが、この「ラズベリー・パーク」だと思う。例えばこの世界観には性愛は見えない。でも彼女の他の多くの歌にはそれはよく現れる。だからまた、 別の愛の世界観を彼女は歌で描いてくれるに違いないとぼくは思っている。


この文章を読んでいるあなた。
ようこそラズベリー・パークへ。ここには愛がある。

そう歌う山崎エリイの「ラズベリー・パーク」を聴いてみませんか。きっと愛を感じられるはずです。

*1:その後、「山崎エリイ SPECIAL FAN EVENT ~Filled with Starlight~」の 1 部にて、3 度目のお披露目となった