mako2270’s diary

趣味は声優さんがお話するのを座って聴いたり眺めたりすることです

EURO2020展望

ブラジルとアルゼンチンがいないワールドカップことEUROが始まります。
無事に開催されるようで何よりです。こちらもコンディションを整えていきたい。

それでは優勝の可能性がありそうな各国の様子を見てみましょう。

フランス(FIFAランク2位)

大本命です。18WC優勝メンバーはほとんど健在の上、エムバペは22歳ながらすでにバロンドールもありえる存在になっており、カンテはCL優勝に大貢献しました。各ポジションにメガクラブのレギュラー選手を揃えており、年齢層も20代中盤から30代の良い時期の選手が多いです。さらにビックサプライズの最高のベンゼマの復帰。エムバペ、グリーズマンに加えさらに大エースの参戦で前線の破壊力はさらに増しています。チームの色としても、スキルの高い選手を揃えながら、堅守速攻のチームであり大崩れもなさそうでスキがありません。何もなければ優勝しそうです。

ポルトガル(FIFAランク5位)

チームの象徴であるCR7は今年36になりますが未だ健在。当然の如くセリエA得点王となりました。加えて他のポジションの選手も充実。Bフェルナンデスは中盤ながらプレミアで18得点と非常に高い得点能力を見せています。他にも天才Jフェリックスをはじめ前線には魅力的な選手が揃っています。また、CBのルベンディアスはマンCでMVP級の活躍を見せ強烈な存在感を見せました。死のF組を勝ち抜くのは容易ではありませんが、フランスに続く優勝候補としては十分な陣容になっていると思います。

ドイツ(FIFAランク12位)

14WC優勝以降今一つ調子の上がらないドイツ。チームとしてもCLで十分な結果を残しているバイエルンの選手が中心になりますが、チームとして一回り小さくなる印象を持ちました。レヴァンドフスキがいないからでしょうか? ノイアー、クロース、ミュラーといった主軸は健在ですし、その他のポジションの選手も十分な実績を持つもののチームとしての怖さが今一つありません。ハベルツ、ヴェルナー、ザネ、ニャブリといった若手が存在感を示せるか鍵かなと。また、ドイツは前評判が良くないときの方が怖いというのもありますし、大会の初めの方で死のF組を乗り越えて勢いがつけば面白いと思います。

スペイン(FIFAランク6位)

10WC、12EUROを制してからしばらく時が経ちました。セルヒオラモスも故障でおらず、優勝候補と言うのも厳しいかもしれませんが、若干18歳にしてバルセロナでレギュラーを勝ち取ったイニエスタの再来、ペドリをはじめ、各国で存在感を示す選手は揃っています。挑戦者として伝統のポゼッションサッカーを見せてくれればなと思います。

イングランド(FIFAランク4位)

近年になくいい感じに見えます。大エースのケインをはじめ、CL優勝のチェルシーで攻撃の中心となっているマウント等の充実した攻撃陣に、各ポジションにプレミアのビッグクラブの中心選手を揃えています。純粋に選手の質だけを見るとフランスには少し及びませんが、それに続くチームとしてはトップに位置するのではないでしょうか。

イタリア(FIFAランク7位)

イタリア伝統の堅守とは方向性を変えたチームとなっており、中盤3人、ジョルジーニョヴェラッティ、バレッラがチームで最もクオリティの高い選手となり、ポゼッションを軸としたサッカーが見れることと思います。ただ、セリエAの地位が相対的に下がっている中で全体的な質となると、プレミアやリーガからは少し落ちます。特に前線は悪くはないものの怖さはあまり見えません。CBもいつものボヌッチキエッリーニということでスピード不足が心配です。とはいえ波に乗れば優勝を目指せる位置にはいると思います。

ベルギー(FIFAランク1位)

FIFAランク1位なんですね。18WC 3位からコンパニの引退をはじめ、全体的な選手層は薄くなっているように見えます。特にMFとDFは他の強豪国と比べても見劣りします。一方で前線を見るとインテル優勝の立役者である覚醒した怪物ルカク、レアルではイマイチですが近年の躍進するベルギーの象徴であるEアザール、そして全知全能たる世界最高のMFであるデブライネが揃い、全チームの中ではトップと言っても過言ではありません。近年強豪国の位置になりつつありますが、変な余裕は持たずデブライネを中心にビューティフルなプレーが見たいです。

オランダ(FIFAランク16位)

世界最高のCBであるファンダイクの故障にも関わらず、デリフト、デフライ、Fデヨングやヴァイナルダムといったセンターラインは能力の高い選手がそろっています。また、リヨンで存在感を見せるデパイはチームのエースとして高い得点力を持っています。しかし、他に目立ったオフェンスの選手がおらず勝ち抜いていく姿が思い描けません。

クロアチア(FIFAランク14位)

WC18準優勝であり、バロンドーラーのモドリッチは健在ですが、やはり優勝候補と言われるとなかなか厳しいものがあります。とはいえ18年から大きく変わりはないため、テクニカルな中盤を中心に勢いがつけば、ダークホースにはなりうるのではと思います。大会始まってから見ていきたいと思います。

まとめ

色々書きましたが何が起こるかわからないのが、EUROであり、フットボールです。
EUROは4時から試合とかが毎度きついのですが、できるだけ見ていきたいと思います。
6月11日から眠れない1か月が始まりそうです。

ラズベリー・パークへの誘い

山崎エリイ 2nd アルバム「夜明けのシンデレラ」より、「ラズベリー・パーク」について書いてみようと思う。


残念ながら本曲は 8 分 55 秒という曲の長さ故か、実際に歌が披露された機会はたったの 2 度、 2018年12月23日に開催された「SPECIALLIVE ~夜明けのシンデレラ~」昼夜公演のみである*1。その長さから今後も彼女が歌う姿を観ることは難しい曲だと思われるが、本曲は山崎エリイの表現力が存 分に発揮された随一の名曲であるとぼくは思っている。
彼女の Artist Director である日本コロムビアの井上哲也氏は「夜明けのシンデレラ」発売前の全曲視聴会にて、本曲について「みんなで共有、体験ができる曲」「ある所からある所まで辿りつく。最後に辿りつく場所がラズベリー・パーク」のように語っていたことを覚えている。この時の「みんな」という言葉を本曲のキーワードとして、本曲について考えてみる。


本曲の歌詞を「私」の主観で追ってみよう。
まず私は、招かれた誕生会の会場に着く。ちょうど夜の 7 時。そこで久しぶりに会えた友人と話をする。 その話の内容は、「入口で止まっている」「進めずに迷っている」、そんな停滞と迷いの話題であり、この時は「花束はまだ蕾のまま」と歌う。
夜中の 12 時をすぎた頃には、最終電車に乗って帰る子がいて、一方でまだ会場に残っている子もいる。そこでの話題も「まだ何にもなれない」「いつかきっと翔びたつ」という、まだ叶わないが叶えたい自分の夢の話。しかし一方で、「素敵な集まりだ」「ここには愛がある」という、その空間を共有する「みんな」との言葉が少しずつ現れる。そして、「花束はいい香りをさせ始める」と歌う。
さらに時が経ち、夜が深まった先に、鳥が鳴き、朝が近づくと私たちは公園へ向かう。
この公園こそラズベリー・パーク。「ねえ たのしかったよね」「勇気がもらえたよ」「やさしくなるね がんばる」 「素敵な集まりだ」「ここには愛がある」、私たちは言葉を交わし、蕾だった花たちは目を覚まして、香りが鮮やかに溢れ出す。
そして、昨日から今日までの言葉たちがリフレインして歌われる。今日の言葉は明日も未来も続く。昨日から今日、そして明日から未来へ続くこの想いの渦は、今ここにいる「みんな」の愛を受けて勇気をもらって、鳥となる。私たちの「いつかきっと翔び立つ」という夢は、きっと叶うのだ。
最後のフレーズは「昨日は 今日にかわってる」。これは単なる時間経過の描写ではなく、心の動きとして、昨日までの成し遂げられなかった後悔を乗り越え、一つ先に進めたことを歌っているのだと思う。


ぼくたち本曲の聴き手は、主観的な夜 7 時から夜明けまでの半日の情景描写に浸っていると、いつの間にか時間経過が溶けて混ざった世界に迷い込んだ気持ちになると思う。いや、迷い込んでいるというよりは、主観的な描写を誰にでも受け入れやすい入口とし、徐々に本題を示したい世界観に誘い込まれているようにぼくは感じた。
本曲の前半は主観的な心情の変化が、半日という期間の具体的な出来事として、叙述的で受け止め易く描かれている。しかし実はそれはもっと長い時間の愛を描くに当たっての比喩として示されているのではないか。もっと言えば、愛を育むのに時間の長短は関係なくて、ただ確かな想いがそこにあればいいのだと思う。そして「確かに愛があること」、愛という概念が具現化されたもの、それこそがラズベリー・パークという場所であり、そこに辿り着くことが本曲で描かれているのだと、ぼくは思う。


昨日の「迷い」は時を経て、人のやさしさや愛を受けて、変わる。
「昨日は 今日にかわってる」これはみんなの愛を受けて、後悔を勇気で乗り越えられたことを示している。確かにここに愛があったということを歌っているのだ。
ラズベリー・パーク」
それは後悔を乗り越える愛のある場所。その愛は人に貰うものであり、与えるものでもある。そして、お互いへの愛は勇気に変わり、後悔を乗り越える明日に至るのだ。
ここに描かれているのは、「私」の話ではない。「私たちみんな」が愛を共有する話。 そして、ラズベリー花言葉は、「深い後悔」と「愛情」だ。


2018 年 12 月 23 日のライブでは本曲はアンコールで歌われたが、終始彼女は神妙な表情だった。彼女はこの叙述的で主観的な物語において、決して主役となることなく、世界の案内人として語り部であることに徹しているように見えた。しかしそれにも関わらず、舞台上の唯一無二の歌い手として、この穏やかな不思議で機微に溢れる長曲を、聴き手に飽きさせることなく終始魅力的に聴かせることができることこそが、彼女の確かな力なのだと感じた。
山崎エリイにはそれぞれの曲を離れ、一歌手として届けたい強い芯のあるメッセージはあるのだろうか。ぼくにはよくわからない。でも彼女は何にでもなる。その多彩な楽曲から一つの山崎エリイ像がぼくには定まらない。それはとても凄いことだと思う。一つのはっきりとした芯があることは人間の強みのようにも思えるが、 変幻自在に多彩な姿を見せ、そのどれもに凄みがあることに、ぼくは彼女の力を見る。
その多彩な姿の中で、一つの完成形として愛の世界観を描き切ったのが、この「ラズベリー・パーク」だと思う。例えばこの世界観には性愛は見えない。でも彼女の他の多くの歌にはそれはよく現れる。だからまた、 別の愛の世界観を彼女は歌で描いてくれるに違いないとぼくは思っている。


この文章を読んでいるあなた。
ようこそラズベリー・パークへ。ここには愛がある。

そう歌う山崎エリイの「ラズベリー・パーク」を聴いてみませんか。きっと愛を感じられるはずです。

*1:その後、「山崎エリイ SPECIAL FAN EVENT ~Filled with Starlight~」の 1 部にて、3 度目のお披露目となった

C96 Hameau d'Erii 告知

告知です。本日(8/10土) Hameau d'Erii @南カ-28aです。1冊300円です。

初参加です。怖くないので気軽に遊びに来てください。

JUNCTION~早見沙織の歌う、世界の終わりと祝福

先日、早見沙織さんのコンサートに行ってきた。以前から彼女の歌をきちんと聴きたいと思っており、アニサマや小規模なイベントで聴いたことはあったが、機会が合わず行き逃していた。

以前、彼女の歌を初めて生で聴いたとき、まず印象に残ったのは圧倒的な歌唱力だ。ぼくは声優のライブには何百回と行ったことがあるが、一言、圧倒的という言葉が一番初めに思い浮かんだ。

抜群の声量を持ちながら、それに頼らず、弱く擦れた歌声まで自由自在に、歌うというよりもその場に適切な "声" を出すことができる。それは一つの歌詞のレベルではなく、音にならない一瞬の間も含めて、全てが考え抜かれているような "声" の表現となっている。

こう書くと少し面白みの無い歌のように聞こえるかもしれないが、彼女の歌はとても自然な感情に満ち溢れている。早見沙織という人のぼくのイメージは、いつも穏やかでノーブルな(これは以前上坂さんが言っていた)、ゆったりして少し世間ずれしてふわふわしている人、というものだった。だが彼女の歌はそんな一面の他にも、熱く力強い一面や、感情的に強く悲しむ一面といった多彩な表情を見ることができる。ツアーのパンフレットでも黒須克彦の彼女の第一印象として「とてもエモーショナルに歌う方だな、という印象を持った」と書いてあった。

ぼくは今回のツアーは全公演(4/6広島、4/7大阪、4/13札幌、4/29東京)に参加した。はじめは1公演の参加でもいいかなとも思っていたけど、期待に胸を膨らませたぼくの想像を超えるパフォーマンスに、気がつけば全公演に参加することとなっていた。

彼女が「JUNCTION」の「交差点」としての意味をこんな風に語っていた。

コンサートという場は、昨日は全然違うことをしていたたくさんの人が会場に集まって、この瞬間を共有して、そして明日はまたそれぞれの道を進むことになること。

「JUNCTION」というアルバムは、色んな方向を向いた楽曲が一つのパッケージにまとめられたものであること。

また今回のコンサートで、ステージで鳴っている音は全てステージ上の人が鳴らしている生の音だ、という話もあった。「JUNCTION」の話と絡めて、その場にいるお客さんの声も含めて、今この瞬間に鳴っている音が、この場、この瞬間だけの音楽だと話していた。

だから彼女は頻繁にマイクを客席に向けるし、手拍子を煽る。たぶん彼女はそれが無くてもステージ上だけで完璧に素晴らしい音楽を完成させる気持ちがあることは、そのステージの質を見れば明白だった。だけどぼくはツアーを重ねて、それでも彼女は客席にマイクを向け続けるのだろうなと強く感じた。

どの曲もとても魅力的で、その一つ一つの魅力は本当に書ききれないほどあって、ぜひ誰もに彼女のコンサートに足を運んでほしいなと思った。

ぼくは「琥珀糖」と「Blue Noir」が好きです。

 

で、ツアーの話はこの辺にして、本題に入りたい。ぼくが書きたいのはその中で描かれた3つの曲、「白い部屋」「祝福」「interlude:forgiveness」のお話。コンサートに参加した人は承知の通り、この続けて3つの曲には特別な演出があった。その意味を読み取りたいと思ったのが、今回の主旨となる。

 

白い部屋(歌、作詞、作曲:早見沙織

"世界の終わりに君を見る"

印象的なフレーズに始まるこの曲は、最初から最後まで一人の人間の感情を描いた曲である。にもかかわらず、コンサートでここからの3曲で映されたプロジェクションマッピングに、人間の姿は一切出てこなかった。映し出されたのは山、雪、森。人間の姿はなく、ただ自然の風景が映されるだけだった。

彼女はインタビューで「白い部屋」は「White Room」というより「Vacant Room」というイメージだったと話していた。

"世界の終わり"

それは "君がいた私の世界" の終わりである。がらんどうの真っ白な部屋は、君がいなくなった後の私の心。そこにはただ何も無いのではなく、逆にそれまでに部屋に沢山の想いがあったことが伺え、その空虚さがより際立って示される。

昔、その部屋で夢見た未来は棄てられて、育てていた花は枯れ果てて、残っているものは何も無い。それでも唇は、その部屋でそれまで積み重ねてきた沢山の言葉を憶えている。

けれど、無力にも届かなかった言葉も憶えている。そして、どうしても、どうしても言葉が届かなかったとき、私たちは何も言わずにおし黙るしかなくなる。

そして、人間は忘れる。白い部屋には何も無くなり、私にどれだけ強い想いが残っていたとしても、時が経ち、忘れる。忘れがたい気持ちも、"どこにもいかないでいて" という願いも、いつか忘れる。君がいない世界では。

そんな世界の終わりに、君を失った私の姿を歌った曲。

いわば、別離、喪失、失意の歌。

 

祝福(歌、作詞、作曲:早見沙織

難解な曲である。しかしながらこの曲も、前曲から引き続き "私" の心を歌っている。そして画面に映されるのは、深海から空の上の風景。世界の端から端の風景が映し出される。そして、そこに人間の姿は無い。

"きっと明日が来れば全てが変わる"

この曲で何度も繰り返されるそのポジティブな言葉は、しかし彼女の声音から文字通りの意味を受ける人はいないだろう。

それは願望である。どうしようもない今を生きる私は、"きっと明日が来れば全てが変わる" と願う。降りしきる雨もいつかは止むとただ願う。もしかしたら、叶わぬ願いと思いながら。待っていれば、祝福があると望みながら。

この歌のターニングポイントはバッハの「主よ、人の望みの喜びを」のフレーズである。このフレーズが流れ始めたと思った瞬間、フレーズはかき消され、それまでに映されていた自然の風景は姿を消し、画面がただ赤く染まる。そして彼女たちの影だけが残る。

そして、"きっと明日が来る" は、"いまに明日が来る" となる。

赤は人間の激情、本音である。明日にあるのは私の願望通りの世界ではなく、碌でなしの渦が待つ世界である。私たちはなりふり構わず、あらゆる思惑から外れたその未知なる世界へ、飛び込まないといけない。

そしていつの間にか、赤く染まった画面は、青く染まる。彼女はそのとき "希望だけが残る旅路" と歌い終える。目をそらさないこと、そこから全てがはじまるのだと思うし、それから本当の希望に向き合えるのだと、彼女は歌っているのだと思う。

むやみやたらで盲目的な自身の願望を幸福であると認識するのではなく、未来はろくでもないと理解しながら、それを受け入れて前に進むことそのものを祝福としているのではないかと、ぼくは思う。

 

interlude:forgiveness

また、ここで自然、世界が画面に映し出され、interludeが流れる。

2曲で歌い尽くされた感情に対する、「赦し」があることをこのメロディが示しているのだと思う。

 

まとめ

3曲を通して、ぼくらはステージ上の早見沙織やバンドメンバーの姿をおぼろげにしか見ることができなかった。ぼくらは目に映る映像と、彼女の歌声を聴くだけだった。そこには彼女という個人は薄れ、彼女の声のみが聞こえ、最後のforgivenessではただ楽器の音のみが流れる。

別離を "世界の終わり" と歌う「白い部屋」。

盲目的な自身の未来の幸福を願うのではなく、あるがままの世界に立ち向かうことを希望とする「祝福」。

これらはとても私的な歌だ。この歌を聴いた人はこの歌詞から少なからず自分の経験に基づいた情景を思い浮かべてしまうのではないだろうか。しかし、自然を映す映像を見ることにより、ぼくたちは個人に結び付く特定の人間の情景を想像することが薄められる。

つまり彼女の歌を聴いた際に、ぼくたちは個人の経験という最も実感のある切り離しづらい体験から、視座を上げて人間の感情そのものに純粋に向かい合えるようなお膳立てがされていたのではないかと思う。

 

このコンサートにおいて、最後の曲は「温かな赦し」だった。おそらくこのコンサートの主題は「赦し」なんだと思う。ただ、ぼくはこのコンサート全てを咀嚼することはできていない。このコンサートにおける「赦し」はぼくにはわからなかった。でも、この3曲に対する「赦し」は少し理解できる。

 

失意の底の心を歌う「白い部屋」。世界に立ち向かう私を肯定する「祝福」。

これらの曲は、人間が心を擦り減らした先の一つの結論である。正解のない問答の後に、それでも「赦される」べきなのだという意味ではないかと、ぼくは思う。

人間は人間との関係の中で生きなければいけないし、その中で赦し赦されあっている。だけど、人間だからこそ赦せないこともある。赦されないことをしてしまうこともある。それは、いつまでも赦されないことなのか。

それでも赦されるのだと、赦してくれるものがあるのだと、歌っているのではないかと思う。それは神様なのか音楽なのかわからないけれど、それでも赦してくれる存在があることは、ちっぽけな人間にとっては心強い。

 

おわりに

ぼくは、彼女は表現の先に普遍を見ているのではないかと思っている。彼女の歌はどれも極々私的な感情を生き生きと歌いながらも、見据える先に普遍があるのではないかと思っている。

それはどこにでもありそうで、どこにも見当たらないような、とても貴重なものだと思うので、彼女のこれからの行く先に従って、その美しさを見させ続けてほしいなと思った。

 

山崎エリイ SPECIAL LIVE ~夜明けのシンデレラ~ の感想

2018年は常々「挑戦」という言葉を使っていたエリイちゃん。

アニタイ、写真集、ナナシスアニサマ、そして2ndアルバム。様々な大小の挑戦を重ね、その集大成とも呼べるライブが12/23に開催された「SPECIAL LIVE ~夜明けのシンデレラ~」だったと思う。そんなライブの振り返り。

※本当は1ヵ月前くらいに振り返りたかったけどこんな時期になってしまった……

 

M01.a little little thing

9月末の初お披露目から3ヵ月の間歌い続けてきた「夜明けのシンデレラ」のリードソング。彼女の「挑戦」が詰まったこの楽曲は、彼女の普段のイメージとは異なる、よりポップでキュート、カラフルな作品となっている。

またこの曲は以前リリースした「十代交響曲」のアンサーソングとなっているが、今回のライブのセトリではそんな関連性よりも、このライブをリードする一曲として色が強かった。ナポレオンっぽいネイビーのドレスはPVのとにかくポップで可愛らしい姿よりボーイッシュで勇敢さが増していて、でもやっぱり「後ろはスワロウテイルにしてもらったんです!」と言ってたり、頭上の大きなリボンだったり、彼女の溢れんばかりの可愛いさはいつも通りだった。「世界中が祝福しているような空の青さに溶けそうだ」というフレーズがよく似合ってたなと思う。

(そういえば、十数回聴いてやっと間奏の彼女のウインクにドキッとしなくなったんだけどみなさんはどうなのだろう…)

 

M02.星の数じゃたりない

堂々の人気投票一位曲。今回はいつものスタンドマイクは無く、笑顔で楽しそうにステージを左右へ歌い回っていた。寂しさが残りながらも力強いロックチューンが前曲からその先の世界観への導入としてとても入り込みやすい曲順だったと思う。


M03.Steady

エリイちゃんが「ば~ん ♪」ってするやつ。後述のStarlightと合わせてとてもたくさんリリイベで歌い、雰囲気を作り上げてきた曲。曲調や彼女の歌いぶりはポップで可愛らしいが、歌詞そのものに着目するとかなり切ない想いなやつ。

 

M04.未完成のキャンバス

山崎エリイは可愛い。でもいつものそこにいるだけで可愛い彼女ではなく、この曲の彼女は慎ましやかながらもこちらへの好意を隠さない。恥ずかしがり屋で内向的、引っ込み思案な彼女がこちらを見ながら「どうか片想いの絵画に名前をつけてください恋人という名を」と歌いかけてくる体験は、誰もに体験してほしいなと思った。

 

MC

MCでは「リアルとファンタジーの間のような」「時にふわっと、時に鋭く」と彼女のステージを端的に表す言葉を示してくれて、なんとなく、彼女がこれから先も見せ続けてくれる根底のテーマになるような気がした。

 
M05.Zi-Gu-Za-Gu Emotions(昼) / ドーナツガール(夜)

ぼくはZi-Gu-Za-Gu Emotionsが好き。まさか歌うとは。いや歌ってほしかったけど。メタリックでありロボティックでもあり、デジタルなサウンドながら彼女らしいアナログが温かみが感じられるのが好きなのかも。間奏のエリイダンスが最高に好き。

このライブでは既存曲もマイナーアップデートしているという話をしていて、ドーナツガールもその一つ。振り付け変わっててめっちゃ可愛かった。

 

M06.My Twilight

ここからステージから陽が落ちていく。彼女が常々好きだと話す、80年代の香りが強く漂う楽曲。彼女はこのくらいの音域だとグッとカッコよくなる。

前に彼女に歌詞中に「サヨナラの勇気を」と「さよならの勇気を」の話をしたことがあって、これは勇気を見つけ、それを受け入れる曲だと思う、みたいな話をしたのを思い出した。


M07.Starlight

この曲は初のアニメタイアップということで、作詞家作曲家や自分を含めて作品を読み込んで寄せて作ったという話をリリイベでよくしていて、彼女に聞くと「歌ってるときはアニメの登場人物の心情を思い浮かべて歌っている」と "はじめは" 話していた。ただリリイベを重ねると「Starlight」そしてカップリングの「Steady」共に、彼女の歌唱は目に見えて変わり、歌っているときの表情が変わってきたと彼女に話すと「そうなの!笑顔が増えたってよく言われる!たぶんそれはリリイベでみんなの顔を近くで見ながら歌ってるから自然とそうなってるんだと思う!」と飛び跳ねそうなテンションで話してくれたのを覚えている。

でも時間をかけ、たくさんの人と心を通わせ育てたこの曲は、この日はいつになくとても悲しそうに歌っていたなと思った。天に掲げる御手とそれを見つめるまなざしが美しかった。

 

朗読

シンデレラの朝の歌詞に呼応するようなこんなお話をしていた。

「魔法が解けるのは、悲しいことじゃない。ドレスを着ていなくたって、ガラスのヒールじゃなくたって、私のままの私を、好きになってもらいたい。ガラスの靴で確かめなくたって、君だから好きだと言ってもらいたい」


M08.Flowery Dance

M09.cakes in the box

彼女自身が常々歌うことを熱望しているゴシック曲の2つ。ケープを被り "羽根ドレス" を身にまとい、不敵な笑みを浮かべながら歌い踊る姿は、前半の歌唱と比べるとひたすら妖艶だしクソエロいし、でも手が届かない全くのファンタジーの世界を見ている感じも強くて最高にカッコいい。

あとついにガーターリングが…(好き)

 

M10.十代交響曲

この曲はリードソング「a little little thing」の過去の曲とされており、"五線譜" "メロディ" "拍手" といった共通するワードが出てくる。このライブの冒頭で日常にある小さな小さな幸せをとびきりの笑顔で歌っていた彼女が、実はこの「十代交響曲」の頃に苦い思い出を抱いていて、それを経て、より強く、より優しく歌を歌えるようになったのだということを時間を逆転してここで感じ取ることができるセトリになっていたように思え、面白かった。

(あと、映像何回見ても間奏が長くなっている理由がわからない…)

 

M11.星屑のシャンデリア

久しぶりに聴いたやつ!めっちゃかっこいい! 率直に言うとたぶん「十代交響曲」は彼女にとって難易度が高い曲で、この曲はめちゃくちゃ歌いやすそうでいつも伸びやかに歌っている印象が強い。ぼくが "彼女の歌" を聴きたいときにまず第一に思い浮かぶこの曲が聴けて大変よかった。

この辺は真夜中を迷い進み、夢の中で星を見つけた、みたいなイメージ。


M12.Vivid my world

この曲はなんだろ…普通に良い曲だよね…あんまり言うことがない…

夜の部で "君の名は「Erii」" の時に終始クールだったエリイちゃんが笑顔になった時の表情が好き過ぎる。

しかしながら笑顔にあふれた前半と打って変わって、後半はここまで全く笑顔が無くて二面性が際立っているなと思った。

 

MC

FCイベロックハート城発表はクソ笑ったwww


M13.Dreamy Princess

「王子様を探しに行かなくちゃいけない」

ここかあ(ここで歌うのか!)となった。王子様に会いに行く→客席に行く、の流れが全てな気がする。あと「シンデレラの朝」の対の曲であるこの曲がここというのは始まりと終わりが隣り合わせみたいな感じでライブの前は始まりと終わりは最初と最後だろうとぼくは安易に考えていたのでなるほどなあってなった。


M14.シンデレラの朝 

この曲はぼくはなんとなく語るのが難しくて、王道のようで親しげなようだけど、どこか距離を感じるようなイメージがある。距離を感じるというのはとても良い意味で言っていて、だからこそ、この曲は素晴らしいのだと思う。なんというか、それが彼女らしくて、そしてこのライブではそのイメージがとても強まるような歌唱だと思った。

「幸せは一つじゃない。みんなの分もちゃんとあります」

と言えるのは、これは自分自身だけの話ではなく、みんなの話なのだというメッセージで、なんというか世界観の表現者だなと思った。

 

 

a little little thingに始まるまばゆく明るい真昼間から、黄昏のTwilightに向かい、夜に至る。そこから真夜中を越え、夢見るシンデレラは夜明けを迎える。そんな時間と心の流れを感じ取ることができ、彼女が表現したいものを存分に堪能できたステージだったと思う。

 

 

EN01.ラズベリー・パーク

待ってた。

10月の全曲視聴会で聴いた直後に彼女に「貴女がこの歌を歌ってくれてよかった」と伝えた、そんな一目惚れの楽曲。リリイベでも遂に歌われなかったこの曲は正にこの瞬間が初披露だった。

井上Dが全曲視聴会で「みんなで共有、体験をできる曲」「ある所からある所まで辿りつく。最後に辿りつく場所がラズベリー・パーク」と話していて、それは聴くだけでも十分に体験できるものだったが、ライブという表現でまた違った "体験" をさせてくれた。

アンコールが始まると彼女がステージの横からゆっくりと現れる。ここでまた新しい赤黒のチェックの衣装。頭には可愛い王冠。それはさながら「ラズベリー・パーク」の世界の案内人のようで、彼女もいつもの笑顔と異なり、不思議そうな神妙そうな表情を浮かべながら、ステージの世界を歩き、歌う。そして最後にベンチに辿り着く。リフレインされる彼女自身の歌を聴きながら、自分自身の歌に答えながら、自らに問いかけるような、そんな姿が印象的だった。

また、ステージに常に浮遊していたシャボン玉のような風船は、ライブを通して曲によって受ける印象が変わる存在だったが、リアルとファンタジーの境界線を一曲で表せるこの曲では、特別に浮遊感を与えてくれるファンタジーの意味合いを強めてくれる存在だったと思う。

この「夜明けのシンデレラ」という時間の流れと共に描かれていたステージの中に、一曲で強く時間の流れが描かれているこの曲は入れようはないと思ったし、この曲順はすごく聴きやすかった。

普通、アンコールはライブTシャツを着て歌うことがほとんどだが、ここではまた新たな衣装を着て歌う彼女から、この曲に懸ける思いを感じ取ることができた。

この曲自体の感想はまた別に書きたい(と思ってる)。好きなので。

 

MC

「諦められませんでした」がすべて。


EN02.Last Promise

なんかアニソンっぽいやつ。

 

EN03.全部キミのせいだ

ソロデビュー2周年記念イベントでこの曲に対する素晴らしいコメントがあったのを覚えてる。デビュー以来いつもどんなときも彼女が共に歌い続けてきた曲。やっぱり一番初めの曲は特別なんだなって思う。だから最後の最後はこの曲なんだろうとは思ってた。

練り歩きが好きという彼女はここでもまた客席へ。楽しそうだった。

(…昼公演真横に歩いてきたから手を差し出したけどカラーボールダメだった…)

 

おわりに

総じて彼女が表現者として現時点で持つものが詰め込まれた聴きごたえのあるライブだった。楽しかった。ここでまた井上Dが全曲視聴会で話していた言葉を借りる。

「この素晴らしい山崎エリイの世界を広げたい」

そんな言葉に見合うだけのものを成し遂げてくれて、彼女の2018年の「挑戦」が一つの作品となってくれて、とても嬉しかった。そして彼女の素晴らしい世界をもっと広げて、もっとたくさんの人に知ってもらいたいなと思った。

夜明けのシンデレラ【初回限定盤】

夜明けのシンデレラ【初回限定盤】

 

 

そんな彼女のライブは以下のリンクから見れます。(※今月中まで)

 

 

蛇足

シンデレラについてぼくは彼女にこんな問いをしていた。 

この後のなぜ違うの?というぼくの問いには、彼女は「いろいろあるの!」と答えた。

そして2018年、総まとめとしてこの質問をした。

ぼくが2018年に、彼女について知れたのはここまで。でもこの言葉でぼくは彼女をもっと先で見れると信じることができたし、このライブがあってそれを強めることができた。

2018年の2月のコンサートやいつかのリリイベで見れた、彼女がなりふり構わず思うがままに歌う姿を思い浮かべながら、それを今回のライブで綺麗に創り上げ歌う姿に重ねながら、2019年の彼女を思い描こうと思う。

 

彼女は「シンデレラの朝」 に最後に至ったわけじゃない。それは彼女の過去であり、それを越えてなお彼女はシンデレラであることを選んだのだとぼくは思っている。たとえ未来にまた朝を迎えるとしても、いまこの時は彼女はシンデレラ。

だってそうじゃないとお城で待ってるお姫様に会いに行けないしね。

 

2018年よかったイベント10

過去を振り返るのは重要だと思い立ったので2018年よかったイベントを10個くらい振り返ってみる。

 

LAWSON presents 雨宮天ライブツアー2018 “The Only SKY” in Sendai

大阪のホール公演も楽しかった。ホールは演出も映えるし。けどそれ以上に彼女はスタンディングがよく似合う。自らの弱さを隠さず笑顔で誇り高く意志強く突き進む姿はいつ見ても美しい。カッコつけるとこはカッコつけて。ステージ上で演じるとこは周りの空気すら変えるような表情を浮かべながら。みんなと楽しく歌うとこは顔が崩れるくらいに笑って。生きてるって感じがする。「唯一無二の雨宮天の世界」をこれからも観れることが楽しみで仕方がないなって思う。


AYA UCHIDA LIVE TOUR 2018 ~So Happy!!!!!~ 大阪公演

なんか今まで参加した彼女のライブの中で一番楽しかった。スタンディングで歌もMCも自由なのを見てると幸せになれる。


YURIKA ENDO FINAL LIVE - Emotional Daybreak-

エモかった。登場時のモノクロームオーバードライブの衣装に思わず泣いた。一瞬で初めて彼女を見た日のことを思い出させてくれた。インストのReason of Birthで彼女を追いかけていた日々を思い出していた。本編最後のEmotional Daybreak、アンコール最後のknight-night.、ダブルアンコールのモノクロームオーバードライブ。何一つ文句のつけようがなかった。そしてこの子は最後の最後まで泣かないんだなって思った。


相坂優歌ファーストライブ「屋上の真ん中 で君の心は青く香るまま」

全部良かった。瞬間最大meが凄かった。MCがとても彼女らしかった。


渕上舞 1st Live "Fly High Myway!" 東京公演

待ちわびたデビュー。とにかく無心で楽しんだ。正真正銘の1stライブなこともあって、マジで彼女と2人でライブを創り上げる感覚になった。トロピカルガールとか。整理番号1は運が良かったとしか言いようがない。


MIMORI SUZUKO 5th Anniversary LIVE 「five tones」 大阪公演

1つのライブをコンセプチュアルに創り上げる彼女が、このライブではテーマをfive tonesとして示してくれた。それは5分の1ではなくむしろ5倍にも思える重みや厚みや深みがあって、過去に観た彼女を常に超えてくる凄みにただただ圧倒された素晴らしいライブだった。


山崎エリイ SPECIAL LIVE ~夜明けのシンデレラ~

2018年は「挑戦」という言葉を掲げていた彼女。その集大成と言える12/23のライブにたくさんの「挑戦」を詰め込んで「夜明けのシンデレラ」の世界観を示してくれた。世界に没頭できる空間を創ってくれてうれしかった。そしてラズベリー・パークが素晴らしかった。


田村ゆかり BIRTHDAY ♡ LIVE 2018 *Tricolore♡Plaisir* 

3日間それぞれの日でコンセプトを変えるという無茶をして、計50曲くらい歌っていて凄かった。3日間、彼女の世界に浸ることができた。Crescendo Carol*のときは今ひとつ実感がなかったけど、実感を持ってここが戻ってきたんだと思えるようになれた3日間だった。


山崎エリイ Concept Concert 2018「millefeuille harmony」

好きな歌を好きに歌う、それに敵うものは無いと思い知らされたコンサート。恋のバカンスが2018年ベストパフォーマンス。彼女の実力や可能性を叩きつけられたことを幸せに思えた日だった。そしてCherii♡の初お披露目。愛だよ愛。


ゆかりっく Fes’18 in Japan

彼女のライブはある種の決まりごとの中でなされているという感覚は常にあるのだが、その感覚がすべて取っ払われる自由で楽しいFesだった。歌はもちろんのこと、歌以外の彼女のあらゆるコンテンツ性が存分に発揮され、彼女を余すことなく楽しめる、そんな空間が創り出されていた素晴らしいイベントだった。

 

 

今ぼんやりと漫然と過ごしたように思える昨年も、改めて振り返るとここに書いてあること以外もたくさん楽しいことがあった。今年も楽しいことたくさんあるといいなって思うし、その瞬間を逃さないように真面目に生きる必要があるなって思う。

ピンク・マゼンダのお話

ピンク・マゼンダ

ピンク・マゼンダ

  • 内田 彩
  • アニメ
  • ¥250

思えばぼくはこの歌が実際に歌われてるのをそんなに聴いたことがあるわけでもなく、数えると1st、1.5th、武道館、この前のアイスクリームガールとたったの4回。それでも初めて聴いた時からぼくの心の中を大きく占める歌になっていて、なんでだろう?という気持ちもあり、ぼくは普段は歌の歌詞なんて気にしてないのだが、折角なのでちゃんと読んでその感想を彼女に伝えてみたいと思ってた。

そんなわけでこの前の日曜に内田彩さんのライブに行ってきた。彼女に今まで手紙を出したことはなかったけど、ほぼピンク・マゼンダのお話だけを書いた便箋11枚くらいを出した。

 

ライブではピンク・マゼンダは歌わないと思ってたのにMCで赤とかピンクの歌を歌うと言うから、心動いてそんなの期待してしまうじゃんってなってしまった。それと夜はセンター付近の4列目くらいだったので軽率にこんな位置でピンク・マゼンダを聴いてみたいなと思ったのもある。そういえばあんなに近くでうっちーを眺めるのは一度なぜか発生したマジうちの最前センター以来だななんて今になって思った。
ともあれ何事もなくライブは終わりピンク・マゼンダは無く(ライブはとても楽しかった)、次はツアーということでレギュラー曲にならないと次いつ聴けるかわからないし大変だなーと思いつつ今に至ってる。

ここから書くのは彼女に宛てた手紙の中で公共の場に出して良さそうな内容を抜粋してちょっと修正して書いた、ぼくの考えるピンク・マゼンダのお話。
初めは何も考えずに歌詞を見ながら文章を考えてたけど、最後まで書いてるとなんとなく自分なりになるほどなというとこに行き着いた、そんなお話。

 

前置き

いきなり話が変わって、ぼくの前置きの主張。
言葉って、今ここでぼくたちが現実に感じてる真実を全て伝えることはできない。どれだけ言葉を尽くしたってどれだけ人の心を打つような言葉だって、人が今目の前に感じている真実には届かない、とぼくは思ってる。
でもぼくは言葉が大好きだ。ぼくらは自分の真実を伝えたいから言葉を尽くそうとした結果、無限に美しい言葉が生まれるのだと思う。ぼくは美しいというのは綺麗も汚いも全て含まれたものだと思うし、ぼくは綺麗も汚いも大好きだ。人が尽くそうとした結果ならそこに美しさはあるし見出せると思う。

歌というものは言葉を音色に乗せる。そこから感じることは言葉以上の"何か"を伝えることができる。だからその"何か"は具体的な言葉で説明すると消えてしまうようで、多くの人は怖くてそれを言葉にしたがらない気もしている。少なくともぼくはそうだ。でもぼくがピンク・マゼンダを聴いて感じたことはたくさんあって、どれだけつたなくたって、どれだけ"何か"が消えてしまったって、言葉にする勇気を持たないといけないのだと思う。


ぼくはピンク・マゼンダは女の子の「誇りと愛、そして可愛さ」を歌った曲だと思ってる。
「誇りと愛、そして可愛さ」これは言葉ではそれぞれ別の3つのことを意味している。
でもここには内田彩が歌うピンク・マゼンダがあって、それはもう別々の意味ではなくて一つの意味となっている。この3つはピンクで混ぜられていて、それが一つの真実なんだとぼくは思う。

 

ピンク・マゼンダ

ぼくはピンク・マゼンダはある一人の女の子、ではなく女の子みんなの物語だと思ってる。
ここから歌詞をはじめからたどってみる。

一番

一言目の "ベイビー"の呼びかけ。幼さと可愛さのダブルミーニング。そう、女の子は誰だって生まれてきた時からピンクなんだ。そしてそのピンクは幼い頃はちっちゃなツメに隠して、おとなになっても可愛いネイルで隠す。
ピンクは使うべき瞬間がくるまでとってるもので、その瞬間とは守りたいひとやほどけたい愛に向き合ったとき、そして向き合った瞬間は"やわらかな色"ピンクで飾るのが良く似合うと反芻する。

ちっちゃくたって可愛くしてたって、爪は硬く鋭く強いもの。女の子が隠しているピンクは自分自身の可愛さへの誇りであり、また可愛さそのものでもある。それは安売りするものではなく、ピンクを示す対象は自分が愛すべきと決めた相手だと歌っている。
ぼくは"ほどけたい愛"という言葉がとても好きだ。自分自身の中に隠したピンクを示すとき、愛がほどける。ほどけるまでは固く結んだ自分自身に誇りを持って生きている。結ぶことは閉ざすことではなく美しく作り上げること。でも、ほどけたい、愛したい。そんな彼女の一面が思い浮かんでとても可愛らしく思う。

ピンクで混ぜる、包むのは愛すべき相手。その相手とは時間なんて溶けあうくらいずっと一緒にいこうと歌う。スマイルのくちびる、号泣して熟してるほっぺ、どちらもとびきりのピンク色で、笑顔のときも泣き顔のときもどんなときも、一緒に愛の中にピンクの中にいようと歌う。

人間はできれば笑っていたいもの。でも笑顔のときだけじゃなく泣き顔のときも可愛くあることはできる。泣くことは決して弱さを見せるだけではなく媚びるわけではなく、泣いていたって自分自身の感情を受け入れて誇りを持ってそこに立つことはできる。
そしてその揺れ動く心は誇りを保ちつつも、やはり愛を持って誰かと共有するものなのだと思う。

ここまでが、女の子自身が可愛いピンクであり、それに誇りを持っているお話。
ここからは、自分自身だけではなく世界にピンクを見い出すお話。

二番

夜明けがブルーにローズで、彼女は世界にピンクを見い出して上機嫌になる。そんなときに「そのタクシーは自分のだ」って言う人に逢う。彼女はタクシーの人という赤の他人に対して、愛を持って可愛く接する。
ここで"灰"という、ピンクと正反対の言葉がこの歌唯一ここだけに登場する。それは争いや憎しみが引き起こす色。世界にはこの"灰"が満ち溢れているけれど、彼女は"灰"になりそうだったタクシーの人とのやりとりを、ピンクにする。愛を持って、でも媚びるわけではなく誇りを持って、とても可愛くピンクにバツをつける。

ピンクで癒すピンクで生きる、と自分自身がピンクで生きるだけでなく世界にピンクの癒しを分け与えることを彼女は歌う。
荒野に咲く花は一面の灰の中にあるピンク。気高く誇り高く美しいその花を見つけるときは、自分が世界にピンクを見い出したときでもあるし、憎しみで気持ちがいっぱいになっていた自分にはっと気づくときでもある。
上気した興奮と想像して翔べちゃいそうな夢。これは可愛くも物静かなこの歌の中で最もテンションが高いフレーズ。自分自身が我を忘れてしまいそうなくらいピンクな瞬間、そんなときでも自分一人だけではなくて誰かと手を結んで歩いてく、愛を結んでいくと歌っている。

ここまでが自分自身の可愛さに誇りを持つだけでなく、自分以外の世界にピンクを見つけ、自分とピンクに愛を結んでいこうというお話。

Cメロから最後まで

"淋しくなるたび噛んでた親指"から"失恋して封印したワンピ"までは他人への想いが報われなかった苦い思い出たち。それは家族や近しい人、恋人への愛だったり恋だったり。
でも彼女はそのどれもがピンクだった、キラキラしてたと歌う。なぜならピンクは鏡のように自分を映すもので、世界にピンクを見い出すとき自分自身もピンクだからだ。例え相手が想いに応えてくれなかったとしても、自分がピンクであり他人を心から愛することができていたなら、それは誇れることだから。
そしてもう一度"ピンクを混ぜるんだピンクで包むんだ"とピンクである自分自身が相手と共にピンクであることを歌う。2回目の同じサビ、今度はより力強く、自分自身の誇りに他人への愛を加えてこの歌の一番のメッセージを歌い上げる。
最後はもちろん愛を持って、それはあなたとも混ぜるんだと締めくくる。

 

以上がピンク・マゼンダ、誇りと愛に満ちた誰よりも可愛い女の子の歌。

 

あとがき

言葉は世界を意味で切り取るけど、意味は感情の下で隣り合わせにいて繋がっていて敢えて切り分ける必要なんかない。誇り、愛、そして可愛さ、これはピンクという一つの言葉で意味することができる。それをピンク・マゼンダという歌が、ぼくに教えてくれた。

誇りと可愛さって相反するもののように見えるけど、自分自身の可愛さを肯定するため、誰かと愛し愛されるため、誇りというものは必ず必要だとぼくは思う。そして誇り高く強い可愛さほど無敵なもの無い。

誇りとは自分を信じること。愛とは他人を信じること。可愛さとは人を笑顔にさせる、心をドキドキさせるもの。そして誇りや愛があれば可愛さは一層心に響く。
ピンク・マゼンダはキラキラとひたすらに明るい歌ではない。けど自分への誇りと他人への愛に満ちた、ぼくの大好きな可愛さが詰まった物語の歌だ。

この物語に出てくる世界。どれも一つ一つは平凡な瞬間で誰もが出逢うであろう世界だ。
でも彼女が感じている世界はこんなにも特別で美しい。ぼくらが生きてるこの平凡な世界も、こんな風に美しく感じながら生きている可愛い女の子がたくさんいるんだなって思える。

そんな特別でとびきり可愛い女の子たちの普通の物語。それがぼくの考えるピンク・マゼンダのお話。

 

 

こんな感じにたくさん書いたところでやっぱりぼくの感じた真実には全く届かなくて、読み返すと思わず捨ててしまいたくなるような文章がここにある。
でもひとつ気づいたことがあって。だからぼくはこの歌が好きなのかなと気づけたから、捨てなくてとりあえず書ききってとても良かったのかもしれない。それは書いている途中にふと思い出したこのツイート。

誇り高く、恋と愛を歌い続けるピンクな女の子が言っていたこんなこと。

やっぱりぼくには彼女だし、これができる女の子をぼくは探し求め続けるのかもしれない。