mako2270’s diary

趣味は声優さんがお話するのを座って聴いたり眺めたりすることです

ピンク・マゼンダのお話

ピンク・マゼンダ

ピンク・マゼンダ

  • 内田 彩
  • アニメ
  • ¥250

思えばぼくはこの歌が実際に歌われてるのをそんなに聴いたことがあるわけでもなく、数えると1st、1.5th、武道館、この前のアイスクリームガールとたったの4回。それでも初めて聴いた時からぼくの心の中を大きく占める歌になっていて、なんでだろう?という気持ちもあり、ぼくは普段は歌の歌詞なんて気にしてないのだが、折角なのでちゃんと読んでその感想を彼女に伝えてみたいと思ってた。

そんなわけでこの前の日曜に内田彩さんのライブに行ってきた。彼女に今まで手紙を出したことはなかったけど、ほぼピンク・マゼンダのお話だけを書いた便箋11枚くらいを出した。

 

ライブではピンク・マゼンダは歌わないと思ってたのにMCで赤とかピンクの歌を歌うと言うから、心動いてそんなの期待してしまうじゃんってなってしまった。それと夜はセンター付近の4列目くらいだったので軽率にこんな位置でピンク・マゼンダを聴いてみたいなと思ったのもある。そういえばあんなに近くでうっちーを眺めるのは一度なぜか発生したマジうちの最前センター以来だななんて今になって思った。
ともあれ何事もなくライブは終わりピンク・マゼンダは無く(ライブはとても楽しかった)、次はツアーということでレギュラー曲にならないと次いつ聴けるかわからないし大変だなーと思いつつ今に至ってる。

ここから書くのは彼女に宛てた手紙の中で公共の場に出して良さそうな内容を抜粋してちょっと修正して書いた、ぼくの考えるピンク・マゼンダのお話。
初めは何も考えずに歌詞を見ながら文章を考えてたけど、最後まで書いてるとなんとなく自分なりになるほどなというとこに行き着いた、そんなお話。

 

前置き

いきなり話が変わって、ぼくの前置きの主張。
言葉って、今ここでぼくたちが現実に感じてる真実を全て伝えることはできない。どれだけ言葉を尽くしたってどれだけ人の心を打つような言葉だって、人が今目の前に感じている真実には届かない、とぼくは思ってる。
でもぼくは言葉が大好きだ。ぼくらは自分の真実を伝えたいから言葉を尽くそうとした結果、無限に美しい言葉が生まれるのだと思う。ぼくは美しいというのは綺麗も汚いも全て含まれたものだと思うし、ぼくは綺麗も汚いも大好きだ。人が尽くそうとした結果ならそこに美しさはあるし見出せると思う。

歌というものは言葉を音色に乗せる。そこから感じることは言葉以上の"何か"を伝えることができる。だからその"何か"は具体的な言葉で説明すると消えてしまうようで、多くの人は怖くてそれを言葉にしたがらない気もしている。少なくともぼくはそうだ。でもぼくがピンク・マゼンダを聴いて感じたことはたくさんあって、どれだけつたなくたって、どれだけ"何か"が消えてしまったって、言葉にする勇気を持たないといけないのだと思う。


ぼくはピンク・マゼンダは女の子の「誇りと愛、そして可愛さ」を歌った曲だと思ってる。
「誇りと愛、そして可愛さ」これは言葉ではそれぞれ別の3つのことを意味している。
でもここには内田彩が歌うピンク・マゼンダがあって、それはもう別々の意味ではなくて一つの意味となっている。この3つはピンクで混ぜられていて、それが一つの真実なんだとぼくは思う。

 

ピンク・マゼンダ

ぼくはピンク・マゼンダはある一人の女の子、ではなく女の子みんなの物語だと思ってる。
ここから歌詞をはじめからたどってみる。

一番

一言目の "ベイビー"の呼びかけ。幼さと可愛さのダブルミーニング。そう、女の子は誰だって生まれてきた時からピンクなんだ。そしてそのピンクは幼い頃はちっちゃなツメに隠して、おとなになっても可愛いネイルで隠す。
ピンクは使うべき瞬間がくるまでとってるもので、その瞬間とは守りたいひとやほどけたい愛に向き合ったとき、そして向き合った瞬間は"やわらかな色"ピンクで飾るのが良く似合うと反芻する。

ちっちゃくたって可愛くしてたって、爪は硬く鋭く強いもの。女の子が隠しているピンクは自分自身の可愛さへの誇りであり、また可愛さそのものでもある。それは安売りするものではなく、ピンクを示す対象は自分が愛すべきと決めた相手だと歌っている。
ぼくは"ほどけたい愛"という言葉がとても好きだ。自分自身の中に隠したピンクを示すとき、愛がほどける。ほどけるまでは固く結んだ自分自身に誇りを持って生きている。結ぶことは閉ざすことではなく美しく作り上げること。でも、ほどけたい、愛したい。そんな彼女の一面が思い浮かんでとても可愛らしく思う。

ピンクで混ぜる、包むのは愛すべき相手。その相手とは時間なんて溶けあうくらいずっと一緒にいこうと歌う。スマイルのくちびる、号泣して熟してるほっぺ、どちらもとびきりのピンク色で、笑顔のときも泣き顔のときもどんなときも、一緒に愛の中にピンクの中にいようと歌う。

人間はできれば笑っていたいもの。でも笑顔のときだけじゃなく泣き顔のときも可愛くあることはできる。泣くことは決して弱さを見せるだけではなく媚びるわけではなく、泣いていたって自分自身の感情を受け入れて誇りを持ってそこに立つことはできる。
そしてその揺れ動く心は誇りを保ちつつも、やはり愛を持って誰かと共有するものなのだと思う。

ここまでが、女の子自身が可愛いピンクであり、それに誇りを持っているお話。
ここからは、自分自身だけではなく世界にピンクを見い出すお話。

二番

夜明けがブルーにローズで、彼女は世界にピンクを見い出して上機嫌になる。そんなときに「そのタクシーは自分のだ」って言う人に逢う。彼女はタクシーの人という赤の他人に対して、愛を持って可愛く接する。
ここで"灰"という、ピンクと正反対の言葉がこの歌唯一ここだけに登場する。それは争いや憎しみが引き起こす色。世界にはこの"灰"が満ち溢れているけれど、彼女は"灰"になりそうだったタクシーの人とのやりとりを、ピンクにする。愛を持って、でも媚びるわけではなく誇りを持って、とても可愛くピンクにバツをつける。

ピンクで癒すピンクで生きる、と自分自身がピンクで生きるだけでなく世界にピンクの癒しを分け与えることを彼女は歌う。
荒野に咲く花は一面の灰の中にあるピンク。気高く誇り高く美しいその花を見つけるときは、自分が世界にピンクを見い出したときでもあるし、憎しみで気持ちがいっぱいになっていた自分にはっと気づくときでもある。
上気した興奮と想像して翔べちゃいそうな夢。これは可愛くも物静かなこの歌の中で最もテンションが高いフレーズ。自分自身が我を忘れてしまいそうなくらいピンクな瞬間、そんなときでも自分一人だけではなくて誰かと手を結んで歩いてく、愛を結んでいくと歌っている。

ここまでが自分自身の可愛さに誇りを持つだけでなく、自分以外の世界にピンクを見つけ、自分とピンクに愛を結んでいこうというお話。

Cメロから最後まで

"淋しくなるたび噛んでた親指"から"失恋して封印したワンピ"までは他人への想いが報われなかった苦い思い出たち。それは家族や近しい人、恋人への愛だったり恋だったり。
でも彼女はそのどれもがピンクだった、キラキラしてたと歌う。なぜならピンクは鏡のように自分を映すもので、世界にピンクを見い出すとき自分自身もピンクだからだ。例え相手が想いに応えてくれなかったとしても、自分がピンクであり他人を心から愛することができていたなら、それは誇れることだから。
そしてもう一度"ピンクを混ぜるんだピンクで包むんだ"とピンクである自分自身が相手と共にピンクであることを歌う。2回目の同じサビ、今度はより力強く、自分自身の誇りに他人への愛を加えてこの歌の一番のメッセージを歌い上げる。
最後はもちろん愛を持って、それはあなたとも混ぜるんだと締めくくる。

 

以上がピンク・マゼンダ、誇りと愛に満ちた誰よりも可愛い女の子の歌。

 

あとがき

言葉は世界を意味で切り取るけど、意味は感情の下で隣り合わせにいて繋がっていて敢えて切り分ける必要なんかない。誇り、愛、そして可愛さ、これはピンクという一つの言葉で意味することができる。それをピンク・マゼンダという歌が、ぼくに教えてくれた。

誇りと可愛さって相反するもののように見えるけど、自分自身の可愛さを肯定するため、誰かと愛し愛されるため、誇りというものは必ず必要だとぼくは思う。そして誇り高く強い可愛さほど無敵なもの無い。

誇りとは自分を信じること。愛とは他人を信じること。可愛さとは人を笑顔にさせる、心をドキドキさせるもの。そして誇りや愛があれば可愛さは一層心に響く。
ピンク・マゼンダはキラキラとひたすらに明るい歌ではない。けど自分への誇りと他人への愛に満ちた、ぼくの大好きな可愛さが詰まった物語の歌だ。

この物語に出てくる世界。どれも一つ一つは平凡な瞬間で誰もが出逢うであろう世界だ。
でも彼女が感じている世界はこんなにも特別で美しい。ぼくらが生きてるこの平凡な世界も、こんな風に美しく感じながら生きている可愛い女の子がたくさんいるんだなって思える。

そんな特別でとびきり可愛い女の子たちの普通の物語。それがぼくの考えるピンク・マゼンダのお話。

 

 

こんな感じにたくさん書いたところでやっぱりぼくの感じた真実には全く届かなくて、読み返すと思わず捨ててしまいたくなるような文章がここにある。
でもひとつ気づいたことがあって。だからぼくはこの歌が好きなのかなと気づけたから、捨てなくてとりあえず書ききってとても良かったのかもしれない。それは書いている途中にふと思い出したこのツイート。

誇り高く、恋と愛を歌い続けるピンクな女の子が言っていたこんなこと。

やっぱりぼくには彼女だし、これができる女の子をぼくは探し求め続けるのかもしれない。